2017年01月29日

政府の裏切りと隠蔽

1967年6月8日、地中海は美しい日だった。
USS Liberty(アメリカの情報収集艦、武装していない)はエジプト沖の国際海域にいた。
午後2時甲板で日光浴をしていた船員は、戦闘機が向かってくるのを見た。
戦闘機から機銃掃射が始まり、美しい午後のひと時が悲劇へと変わった。
通常護衛艦を伴うはずだったが、否定されていた。
イスラエルの魚雷艇が現れたが、救助ではなく、攻撃された。
避難用ボートが投下されたが、それも狙われ殺された。
全員皆殺しにされると思った。
3時15分フランス製イスラエルのヘリコプターがやってきた。
武装した軍人が載っており、Libertyに乗船し、生き残りを殺しにやってくると感じた。
イスラエルの戦闘機はLibertyの通信アンテナを破壊し救助信号を出させないようにした。
しかし、なんとか救助信号を出し、近くのアメリカ艦船サラトガに通じた。
戦闘機を緊急発進し、救助に向かったが、ワシントンからの命令で中止された。
Libertyが近くの6隻の戦艦に知らせると、その司令官は空母アメリカとサラトガに救助命令を出した。
この通信を傍受したイスラエルは、急きょ撤収した。
そして、ワシントンに誤って攻撃したと知らせた。
Libertyは、34人が死に、174人が重軽傷を負い、船は廃船となった。
イスラエルはLibertyは旗を掲げていなかったと主張したが、掲げていたアメリカ国旗は穴だらけとなっていた。
現在はイスラエルの攻撃は意図的であり、当時のリンドンジョンソン大統領以下はこれを隠蔽したことは疑いの無い事実とされている。
生き残った者にはかん口令が敷かれこれを公言してはならないこととなった。
生き残った海兵隊員はこれによって2重の苦しみを負うこととなった。

posted by dark at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | USS Liberty | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする